康熙48年11月 日-書簡和解710-20211121

20211121令和3年11月21

琉球國中山王世孫尚 、進貢官員を接回接は出むかえる前回派遣されて残留している者を迎えに行き、連れ帰ること。(註1)
する事んの為に。
切にてらしみるに、幣国は海壌海が赤く染まった土(註2)僻居居住的住所(註2-➀)し、世々天朝朝廷また天子を敬っていう語(註2-⓶)洪恩広大なめぐみ。大恩(註2-⓷)くるなり。すでに康熙肆拾 柒年に於いて、特に耳目官向英・正議大夫毛文哲等を遣はし、梢役船の水夫の地位にあるもの(註3)率領率(ひき)いる(註3ー➀)し、海船貮隻に座駕り表文方物を齎捧もた らしささげたること已既すで貴司福建等處承宣布政司移咨咨文を送る(註4)し て、起送出発し送りだす(註5)し京に赴かしめ恭しく聖禧天子の幸福を祝せしめられ んことを煩爲ねがいたるが、外、なほ、さきのの例をしらべたるに、入覲 はいりまみえたる官伴官員と跟伴・従人(註6)は今まさに閩に回る べければ、本国さに船を接回(註1)して福建省閩地に淹留久しくとどまるするに至らざれば、以って天朝の廩餼舊は公家由り供給するの糧食之類で生活物資(註7)らすべし。此れが爲に特に都通事蔡文漢・使者向和聲等を遣はし、水梢進貢船の水夫(註8)帶領引率する 案内する 指揮する(註9)し、海船貮隻に座駕、福省福建省すすゆきてきて皇上の勅書みことのりをしたためたかきつけ(註10)ならびに欽賞皇帝からの賜りもの(註11)の物件と京より回るの貢使及び存留官伴存留官と跟伴(地位の高い人につきしたがって行く人)(註11ー➀)と仝に迎接出迎える(註12)せしむれば、一齊に歸國せしめられたし。 伏して乞ふらくは、貴司福建等處承宣布政司詳文したためめて督撫兩院督撫兩院(註13)をして来る夏の風汛ふうじん・風と洪水(註14)いて歸るを賜わらし めんことを。更に瀆者申し述べること康熙肆拾壹年、京より回るの貢使鄭職良等は、夏至の風汛ふうじん・風と洪水(註14)を過ぎたる陸月にいてびんいて開船出船 出帆、船は水上を航行し始めます(註15)し中洋に至りて颶風熱帯低気圧(註16)にわか、舟をくつがえし、命を船上に預く、所有くだん勅書(註10)ならびに欽賞の緞だんひき等の物は盖く海に没せり。彼の時、皇上の矜憐あわれみもて勅令有るを蒙る。
しらべるに船隻を修せるは堅牢じょうぶ・堅固(註15ー➀)にせよとの之れ上諭なれば、感戴ありがたくおしいただくこと。恐れ多いと感ずること(註15ー⓶)盡す無し。ただに船は固よりすべからく堅緻堅緻 堅固で緻密なこと(註15ー➂)にすべきも、風汛風と洪水(註14)期を過ぎぐるも、亦た沈溺を免れ難し。
なお肆拾肆年の摘回の商船は、夏至亦た已に期を過たる陸月に福省に在りて開洋し、半途に到り、風に遭ひ、將に落漈海底深陥処・海底の深く落ち込んでいる処・海中の渦巻き(註15ー⓸)
いたらんとするのとき、幸いに漸く風み、小船轉じて北山に収容(註15ー⓹)せらる。其の大船は飄ひて東北の窮荒海島荒れ果てた海中の島である琉球(註15ー⓺)向か(註15ー⓻)ひて、冬にいたり、はじめて歸るなり。
又、客夏すぎさった夏、摘回の兩船も亦た、夏至を過ぎての陸月初肆日おいて閩安鎮びんあんちんで、拾参日五虎門をば開船し、將さに半洋に至らんとするの拾捌日、颶風熱帯低気圧(註15ー⓼)にわかにおこ倶過通過してのち(註17)、両船は分かれてく。都通事曽暦等が乗る所の小船はとまを損ひ、桅を折られ、海上を泛流はんりゅうし、貮拾参日、又颶風・巨浪に遭ひ、船尾を打ち裂かれる。貮拾捌、又過再び もう一度(註17)、風の起こり危亡甚だ急なり。幸いに七島鹿児島県宝(たから)七島である(註17-➀を見て針を本国に轉じて、捌月初肆日に至りてやっと・わずかに北山にれり。
又過再び もう一度(註17)、暴風に遭ひ本船をほうっておいてやぶられる。其の都通事紅永祚等、わる所の大船は全て海中没し人の屍を見るなり。今に至も国中彼の官伴官員と跟伴・従人(註6)水梢水夫、船の水夫、船子、船子水夫ノ如キモノ(註18)之父母、妻子の哭く聲、未だまず。人をして心をたましむるるなり。誠に、此番今回も幣国の末員は小役人(註19)、事にまかするに堪へれば、ほ、前轍を踏み、期をあやまらんことを恐るるなり。ただ是れ海外、すえの夏・猛秋間、必ず颱颶たいぐしばしき, 所以だから舟人の敢えて船をかしめるなり。或は冒行強行(註20)する者有りて、多く舟を覆し悞をあやまり致すなり。
事は統べて貴司に留心心を留め注意する(註21)して祈り始終はじめから終わりまで照佛世話(註22)すらば所有くだんの應行事宜まさにおこなうべきことがらについては宜しく詳文もて、両院に具題せしめられたし。
乞ふらくは、向後今後(註23)に于いて毎年の伍月初の旬に歸を賜ふるを例と為し、不ただに(註24)、航海蟻員取るに足りない小役人(註25)のみ風涛のおそれを免れるを得んや国を挙げて感戴す。而して将来の貢典も亦期をあやまること無からるべし矣。此れが爲に、理として合しく貴司に移咨すらばこいねがはくは察照して施行とりはかられたし。須らく咨する者に至るべし。
右は福建等處承宣布政司に咨す。

康熙肆拾捌年十一月


20211123令和3年11月23

(註1) 接回 接は出むかえる前回派遣されて残留している者を迎えに行き、連れ帰ること。(『歴代宝案』訳注本第1・2冊 語注一覧表)
(註2) 海壌 海が赤く染まった土
(註2-➀) 僻居 居住的住所
(註2-⓶ 天朝 朝廷また天子を敬っていう語
(註2-⓷) 洪恩 広大なめぐみ。大恩(web検索)
(註3) 梢役 船の水夫の地位にあるもの
➀水梢=水夫、船の水夫、船子、船子水夫ノ如キモ(『史料語注集成』)
⓶梢水=水夫 船乗り。当時一般には稍水と書かれることが多い、(『歴代宝案』訳注本1・2 語注一覧表)
⓷役 つとめ。職分。仕事上の地位(web検索)
agijima考察ー梢役 船の水夫の地位にあるもの
ーーーーーーーー
(註3ー➀ 率領 率(ひき)いる(web検索)
(註4) 移咨 咨文を送る(『無用之用』)
(註5) 起送 出発し送りだす
➀起送 起身相送(『漢典』)起きて、お互いを送ってください(Google譒訳)
⓶起送 配達(『Google譒訳』)
天朝= 朝廷また天子を敬っていう語 (web検索)
⓷煩爲 起送赴京恭祝聖禧
⓷聖なるジュビリーを祝福するために私を北京に送ってください
⓸起 ①立ち上がる。身を起こす。 ②行動を起こす。「祖国のために―つ」 ③出発する。飛び立つ。「明日の朝―ちます」
agijimaの考察
➀から⓸から起送を出発し送りだすと解した
ーーーーーー
聖禧 天子の幸福
淹留 久しくとどまる
(註6)官伴 官員と跟伴従人
➀官伴 官員と従人、官員と人伴(『歴代宝案』訳注本第1・2冊 語注一覧表)
⓶伴=貢使の供伴(『琉球史料語注集成』)
⓷跟伴=貢使の供伴(『琉球史料語注集成』)
⓸官員=役人(Google譒訳)
⓹従人=つき従う人 ともびと((web検索)
agijimaの考察
➀から⓹によりて官伴とは官員と跟伴・従人のことと考える。
ーーーーーー
(註7)廩餼 舊指由公家供給的糧食之類的生活物資(web検索)
舊は公家由り供給するの糧食之類で生活物資のこと(agijimaの考察)
(註8) 水梢 進貢船の水夫(『琉球史料語注集成』)
ーーーーーー
(註9) 帶領 引率する 案内する 指揮する(web検索)
(註10) 勅書 みことのりをしたためたかきつけ(『大漢和辞典』
(註11) 欽賞  皇帝からの賜りもの
➀欽賞 皇帝賞賜(web検索)
⓶賞賜 赏与的钱物(『漢典』)
agijimaの考察
➀⓶から欽賞は皇帝からの賜りものと、解した。
ーーーーーー
(註11ー➀) 存留官伴 存留官と跟伴(地位の高い人につきしたがって行く人)
➀存留通事ー 正副使の命を受けて進貢事務を司り、並に琉球館内一切の取締をなす役人。(『琉球史料語注集成』)
⓶留辺通事ー福建び留まる通事、存留通事(『琉球史料語注集成』)
➂(註6)官伴 跟伴(地位の高い人につきしたがって行く人)
⓸存留官 常に福州にあって正副使の命を受けて公務を弁し館内一切の取締を司る(『琉球史料語注集成』)
⓹琉球館(福州琉球館)-柔遠駅・館駅=福州琉球館(『琉球史料語注集成』)
存留官
把問官=福州琉球館の門番(中国人がつとめる)
琉球通事(中国人の琉球通事)
⓺跟伴 随从(『漢典』)
⓻随从 意思是随行人员,跟随。(『漢典』)
⓼随行人员 地位の高い人につきしたがって行く人(web検索)
agijimaの考察
➀から⓻により存留官伴は存留官と跟伴(地位の高い人につきしたがって行く人)
ーーーーーー
检索词 ‘土通事’ 共 1 结果,共耗时 0.082 秒.
1 : 【史部·地理】 明·严从简《殊域周咨录》-卷四·东夷(东南)/明万历刻本
… 本年七月初六日,盘获夷人三十二名。译称各于旧年二月,蒙国王尚真差,随使者马三鲁等坐驾宁字号船一只,前往暹罗国收买贡仪,预备朝贡。至漳州外洋,被风打船破,通事头目人三首余名俱溺水,幸存蔡渊等三十余名,拾板浮水二十九日,漂至海边登岸。又据按察司经历呈称:“拘土通事林希眸等译审,得原蒙发下夷稍八人,蔡渊等三十二名俱系同船夷人。但夷情多诈,而近来浙江倭寇纷扰,地境相联,难照常例区处。该臣会同镇守福建御马监太监尚春、巡按御史徐州议,日给夷人口粮,并拨官军日夜提防。时因倭使宋素卿等仇杀于宁、绍。差给事中刘穆往勘。上即命 ..
(『國學寶典』)
ーーーーーー
(註12) 迎接 出迎える(web検索)
(註13) 督撫
督撫
一、督撫は総督と巡撫で、清朝の地方最高長官。
総督は一省もしくは二、三省に一人、巡撫は一省
一人をおいたが、総督と巡撫の職権 ・地位はほぼ
同様で、督無と統称されることが多い。しいてい
えば総督は軍政面を(督標という緑営部隊の総指
揮)、巡撫は民政・財政面を主に担当するものと
して設けられた文官という違いがある。直隷等の
四省は総督の、山東等の三省は巡撫の専管で、他
の省は両者がいて支配した。
(「海俗紀聞2」一四四頁注一・「東洋文庫・平凡社」)
○外國、事を陳請することあらば、其の奏疏は專
差の陪臣をして文をもたらして部に赴かしめ、或は
それぞれの該の督撫をして轉奏せしめ、直接遣往つかはしゆ かしめたる使臣にわたして帶來せしむるを得ず。
凡そ禁令をおかす者は俱に論ずること法の如くす。
(「欽定大荷典・巻三十九、主客海吏司」〇四一三)
○ 各省の督撫・提鎮の官は、公事あるに非ざれば
ほしいままに自ら外國に移文して私に相往來するを得ず。
外國はそれぞれの該の督撫に禮物を醜送するを得
ず」
凡そ禁令をおかす者は俱に論ずること法の如くす。
(「欽定大清合典・巻三十九、主客清史司」〇四一三)
(註13) 両院大老爺
(註14) 風汛 風と洪水
➀風汛 帆は風と洪水を待つことになっていて、時間を計ることができず、台湾の澎湖のようにここに来ます(Google譒訳)
➀帆載往須候風汛不能刻期而至歴来如臺灣澎湖(web検索)
agijimaの考察
風汛 風と洪水
ーーーーーー
(註15) 開船 出船 出帆、船は水上を航行し始めます
➀開船 船开始在水上航行(『漢典』)
ボート(船)は水上を航行し始めます(Google譒訳)
⓶開駕 出船 出帆(『琉球史料語注集成』)
agijimaの考察
開船は 出船・出帆、或は水上を航行し始めますと解します。
ーーーーーー
(註15ー➀) 堅牢 じょうぶ・堅固
(註15ー⓶) 感戴 ありがたくおしいただくこと。恐れ多いと感ずること(web検索)
(註15ー➂) 堅緻 堅固で緻密なこと。また、そのさま(web検索)
(註15ー⓸) 落漈 海底深陥処・海底の深く落ち込んでいる処(web検索)海中の渦巻き(『琉球史料語注集成』)

agijimaの考察 海底の深く落ち込んでいる処・海中の渦巻き(註15ー⓸)

(註15ー⓹) 収 収容
(註15ー⓺) 窮荒海島 荒れ果てた海中の島である琉球
 小琉球漫誌/卷02 流求國居海島(『維基文庫』)
② 冊府元龜 (四庫全書本)/卷0957 琉球國居海島之中當建安郡東水行五日而至所居曰波羅檀洞塹栅三重(『維基文庫』)
⓷ 窮荒=荒れ果てた辺地(web検索)
⓸ 海島=海中の島
agijimaの考察 ➀から⓸から荒れ果てた海中の島である琉球
ーーーーーー
(註15ー⓻) 往  行く,向かう
(註15ー⓼) 颶風 熱帯低気圧
(註17) 倶過 通過してのち

最初只指加勒比海的热带气旋;后来又可指任何具有狂风的热带气旋(『漢典』)

もともとはカリブ海の熱帯低気圧のみを指していましたが、後に強風を伴う熱帯低気圧を指します(Google譒訳)
(註17) 又過 再び もう一度
倶過颶風陡作 ハリケーンの後、(Google譒訳)あるいは熱帯低気圧の後(agijima考察)
倶過颶風陡作 生き残ったハリケーン(Google譒訳)生き残った熱帯低気圧(agijima考察)
倶過、颶風陡作 通過、ハリケーン(Google譒訳)
又過風起、危亡甚急 再び風が吹いており、危険は非常に緊急です(Google譒訳)
又過、風起、危亡甚急 もう一度、風が上がり、危険は非常に緊急です(Google譒訳)
(註17-①) 七島 七島は鹿児島県たから七島であると解する
➀ 諏訪瀬=島名 七島の一(『琉球史料語注集成』)
② 鹿児島県吐噶喇とから列島のうちのたから七島のこと(web検索)
➂ 諏訪之瀬島 鹿児島県吐噶喇(トカラ)列島に属する火山島である。
agijimaの考察 七島は鹿児島県たから七島であると解する
ーーーーーー
(註6)官伴 官員と跟伴(地位の高い人につきしたがって行く人)
(註18) 水梢=水夫、船の水夫、船子、船子水夫ノ如キモ(『史料語注集成』)
(註19) 末員 小役人
末員 小官員 ささいな役人(『Google譒訳』) agijimaの考察=小役人
ーーーーーー
堅牢 
ーーーーーー
(註20) 或有行者 或は冒行強行する者有りて
①冒行 強行する(web検索)
⓶冒行 無謀に行動し(Google譒訳)
agijimaの考察
➀②により或は冒行強行する者有りて、とした。
ーーーーーー
(註21) 留心 心を留め注意する
➀留心 注意、小心(『漢典』)
⓶心をとどめること(web検索)
➂気を付ける(web検索)
agijimaの考察
➀から⓷により留心は心を留め注意すると考えた
ーーーーーー
(註22) 始終照佛 始終はじめから終わりまで照佛世話
(註23) 向後 今後(web検索)
(註24) 不特 ただ・・・のみか
➀不特質量不好、数量又太少=品質が良くないのみか、数量も少なすぎる。(『weblio』)
agijimaの考察
➀により、
航海蟻員取るに足りない小役人(註25)のみ風涛のおそれを免れるを得んや国を挙げて感戴す、となると解する。
ーーーーーー
(註25)蟻員 取るに足りない小役人
①蟻=微賎、卑小 不足物的 如:蟻命、蟻駆(『漢典」)
⓶不足物的人ー何の役にもたたずとるにたりない人ー(『weblio』)
⓷員=官員的定額、又指官員、官吏((『漢典」)
agijimaの考察 ➀から⓷蟻員を取るに足りない小役人であると考える


检索词 ‘琉球馆’ 共 5 结果,共耗时 0.006 秒.
1 : 【史部·地理】 清·林枫《榕城考古略》-卷下·郊坰第三/清抄本

〖柔远驿〗 明曰怀远,以为琉球诸藩国馆寓之所。内有控海楼,明正德间建,俗名琉球馆

2 : 【子部·清代笔记】 清·翁同《翁同日记》-同治八年己巳(1869年)/1925年商务印书馆影印手稿本

晴,热。是日殿上卸篷,不入直。卯正登车,出安定门候彭文敬师灵至,步送至东直门,与芍庭语良久,遂辞归。到署议琉球馆津贴事,教习三两,而厨役转十二两,可叹也。住酒肆,明窗净几,俨然书室矣。

3 : 【子部·清代笔记】 清·翁同《翁同日记》-同治九年庚午(1870年)/1925年商务印书馆影印手稿本

阴,郁热。未申间云从西起,雷声隆隆,微雨。晨读前两号仍极涩,余通利,六刻毕。先退,诣署拜庙行释菜礼。巳初矣。苏公已往,谈良久,同人毕至。【示期本月廿一日考南学生,九月初一日招考各省员监愿住学者。】饭后诣琉球馆视葛生兆庆疾。【状类虚损,前日行文请太医来诊,服药不效。】荐许济川诊脉。验收南学工程,一切如式。【率性堂尚宽绰,修道堂屋大而少。】问树南疾。答苏颖川。出城薄暮矣,乏不可支。

4 : 【集部·清代别集】 清·左宗棠《左宗棠书信集》-光绪五年 &C18790000Y#/通行本

… 阻贡一事,辩论经年,未见转圜,彼且议改琉球为郡县,并派使臣夫户机前来。饬并陈所见。宗棠去闽已久,于近事无所闻见,然琉球、日本情形,亦尝探讨及之。东洋岛国,日本为强,琉球最弱,土产亦远逊日本。琉球立王,其妃必日本之女,故常为甥舅之国,甘受其制。福州南台旧有琉球馆,货物多由日本转贩而来。其人贡为通市计,虽臣事中国惟谨,而不敢开罪倭奴,以岛屿相联、地势迫切故也。闻新王初立,必遣陪臣渡海请封,一则仰借天朝威灵,以图镇压;一则相传立王,若不请封,则所部灾异繁生,民人不利,故请封一次,所费二十万两之多,亦不敢惜。而所入 …

5 : 【】 清·徐葆光《中山传信录》-卷五/通行本

都通事,从四品。加遏闼理副通事,从五品。副通事,正七品:皆无定员。专司朝贡;有留福建福州琉球馆者,名存留通事。--以上,皆久米府秀才出身者任其职。

(『國學寶典』)
琉球通事
检索词 ‘琉球通事’ 共 3 结果,共耗时 0.050 秒.
1 : 【史部·正史】 清·张廷玉等《明史》-卷三百二十三·列传第二百十一/武英殿本

成化五年,其贡使蔡璟言:“祖父本福建南安人,为琉球通事,传至璟,擢长史。乞如制赐诰赠封其父母。”章下 …

2 : 【史部·别杂史等】 清·赵翼《廿二史记》-卷三十四/清广雅书局本

《明史·外国传》,洪熙时,黄岩民周来保、龙岩民钟普福逃入日本,为之乡导,犯乐清。成化四年,日本贡使至,其通事三人,自言敝塔波人,为贼所掠,卖与日本,今请便道省祭,许之。五年,琉球贡使蔡璟言祖父本福建南安人,为琉球通事,擢长史,乞封赠其父母,不许。十四年,礼部奏言,琉球所遣使多闽中逋逃罪人,专贸中国之货,以擅外番之利。时有闽人谢文彬入暹罗国,仕至坤岳,犹天朝学士也,充贡使来朝,下之吏。正德三年,满剌加入贡,其通事亚 …

3 : 【】 清·李鼎元《使琉球记2》-卷六/清嘉庆七年师竹斋刻本

十九日戊辰,晴。自服药后,泄一次即止,病已豁然。巳刻,风转东北,催船户出口。琉球通事、伙长等并谢使,俱至首里称贺,不得开头。

(『國學寶典』)


参考 琼河
7 : 【子部·通俗小说】 清·里人何求《闽都别记》-第二○七回 猜字谜仁翰得美妇 游路通启文识宝光/藕根斋重校石印本
按:琼河在高惠里水部门外。新港之迅潮,大桥未涨,而琼河已涨矣。舟揖如云,多胜迹。象桥,又名满州桥,在高惠里。蛤呈浦在象桥南,有庵。嘉靖建,有雀化灵机之古迹。
8 : 【子部·通俗小说】 清·里人何求《闽都别记》-第二○七回 猜字谜仁翰得美妇 游路通启文识宝光/藕根斋重校石印本
(按:马蹄前圆后凹,名为跨灶。灶者,后蹄越于前蹄印迹,惟骏马有然。)海潮寺:庄严梵刹对琼河,空寂禅心印碧波。
(『國學寶典』)


『旧琉球藩評定所書類 書簡和解710』


令和3年11月21
琉球國中山王世孫尚 、爲接回進貢官員事。
、幣国僻居海壌、世天朝洪恩。於康熙肆拾 柒年、特遣耳目官向英・正議大夫毛文哲等、率領梢役座駕海船貮隻齎捧表文方物、已既移咨貴司 、煩爲起送赴京恭祝聖禧入覲官伴今應回閩、本国船接回不至淹留閩地、以天 朝朝廩餼。爲此特遣都通事蔡文漢・使者向和聲 等、帶領水梢、座駕海船貮隻、福省迎接皇勅書 、欽賞物件、仝京回貢使及存留官伴、一齊歸國。 伏乞、貴司詳督撫兩院来夏風汛歸。更瀆者康熙肆拾壹年、回京貢使鄭職良等、夏至の風汛過期陸月、開船至中洋颶風舟、預命船。所有勅書欽賞緞疋等物盖没於海。彼時、蒙皇上矜憐有勅令。
査修船隻堅牢之上諭、感戴無盡。船固堅緻、風汛過期、亦難免沈溺。
至、肆拾肆年摘回商船、夏至亦已過期陸月在福省開洋、到半途、遭風、將落漈幸漸風息、小船轉収北山。其大船飄往東北窮荒海島、冬、歸。
又、客夏、摘回兩船亦、過夏至于陸月初肆日、閩安鎮、拾参日五虎門開船、將至半洋拾捌日、倶過颶風、分両船。都通事曽暦等所乗小船損泛流海上、貮拾参日、又遭颶風・巨浪、打裂船尾。貮拾捌、又過風起、危亡甚急。幸見七島轉針本国、至捌月初肆日纔到北山。
又過、暴風擱破本船。其都通事紅永祚等、所大船全没於海中不見人屍。至今國中彼官伴水梢之父母、妻子哭聲、未。使人心。誠恐、此番幣国末員、弗堪任事、踏前轍、期。是海外、夏・猛秋之間、必颱颶, 所以舟人不敢船。或有行者、多致覆舟
事統祈貴司留心始終照佛所有應行事宜、両院具題。
乞、于向後毎年伍月初旬賜歸例、航海蟻員得免風涛之虞、挙国感戴、而将来貢典亦無愆期矣。爲此、理合移咨貴司請煩察照施行。須至咨者。
右       咨

福建等處承宣布政司。

康熙肆拾捌年十一月

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