康熙48年11月 日-書簡觧752-20211206

20211206令和3年12月06

琉球國中山王世孫尚益が、祖父薨逝したれば国政を權攝仮に代理(註1)する事の爲にす。竊照ひそか考える(註2)に、幣国は雖越たとえ父が死なれても(註3)海外外国である琉球(註3)に在りては、能く生民を治め代々(註4)藩職琉球國中山王の職務(註5)を修め、皆な天朝を有り難く思(註6)福澤幸いと恵み(註7)遠庇おくぶかく庇護(註8)すること尚益に及ぶ。祖父尚貞の襲封諸侯が領地を受け継ぐ(註9)は恩をかたじけなくす(註10)みだりにす。(並々ならぬ恩をうける)。左渥うるおいの証拠(註11)なり。まさ1年間喪に服す(註12)すこと長きににて、海表海外の土地=琉球(註13)藩鎮琉球の長つまり中山王のこと(註14)となること、子及び孫に傳へたり。此れをかんがえはかる(註15)に、益が父世子尚純はびっこ(註16①)して、永年長生き(註16⓶)ならず。康熙肆伍年拾貮月春拾日康熙肆伍年拾貮月春拾日(註16③)いて、疾を以て先に卒す。益は代父父の代わり(註17)問視言うことや世話(註18)すること、敢えて少しも懈らざるをといえども、而も祖父尚貞つひに、益父尚純を以て親につかえることは能く孝行し、通悼痛み悲しむ(註19)すること不已やまず、悲傷を過於通り越して漸く虚しさを成し、全ておそれ、且つ臥痾痾に臥(註20)(す。遂に本年柒月拾参日(註21)康熙48年柒月拾参日に至り、薨逝死亡するし、臨終せりああ(註23)。益、榻前ゆか・腰かけ狭く長くて低い牀(臥牀)(註24)にて、命之これを申し付けれる(註25)の日に至る。尚貞(註26)封嗣封ぜられし世継(註27)となるを請ひたるも、業經すで(註28)に今三十載暦になりて、聖朝天子の治下(註29)眷顧なさけをかけかへりみること(註30)を蒙ること、有加無已ますます増大に(註31)になりて、天は高くして地は厚くなりたるが、浩蕩水が広く流れるさま(註32)して命令する(註33)すること難し。今病勢は、沈篤久しき病はなはだし(註34)なり。料此此れをかんがえるはかる(註35)に生きて能く報答むくゆること(註36)無ければ、むなんじの(註37)心は恭順うやうやしくしたが(註38)ひて以て心は吾心私尚貞の心(註39)を継げかし。惟に、汝父尚益の父=尚純(註40)の父の早く亡くなりしを未だ封典領地を与えて諸侯とするの規則決まり(註41)答え(註42)ず、入廟おたまや、祖先のみ霊をまつる殿堂にはいる(註43)不得得ざるなり。恐らく祖を以て廟にまつる父の稱(註44)爲さば、如物議何どうしようか世間の噂を(註45)尚益(註46)宜しく之れいう心・そういゆわけ(註47)を思うべし。(との祖父尚貞の言葉が)、訖りおわ死ぬ・逝くしても、一語も私に及ぶこと無し。益既に父を悲しむむ。之れ死亡と云へり。復た祖父棄世死亡を痛む。五内心の内分裂別れさければ、敢えて言継業先人の業を継ぐことの言うこころは(註48)惟だ是れ国事にして、衆心を統べる無ければ、恐らくは定めんや。尚益、若し私を以て公を廃すれば、恐らくはそむく(註49)らんや。朝廷封藩領地を与えられ諸侯(註50)之重きは、於喪期服=期服=人の死を悲しみてある一定の期間凶服をつけてうれいにこもる。(註51)し次に国政を權聽公平に聞き入れて(註52)し、敢えて王と稱せざるを除くの外、特に正議大夫蔡灼を遣わし貴司訃報すべし。所有くだんの祖父の遺言も亦た敢えて壅滞ふさぎ滞らせざるなり。伏して貴司に乞ふらくは、督部両院に轉詳詳文でもてとりつぐし、題せられたし。此れが爲に、理として貴司に移咨す。請爲こいねがはくは査照施行(註53)承知して取りはからはれたし。須らく咨する者に至べし。
右は福建等處承宣布政司に咨す。

康熙肆拾捌年十一月  日


註1-權攝 かりにに他の者をして官をかねしむること。
攝-代理する

註2-竊照 竊-人知れずに、ひそかに
照ーかんがふるに
竊照ーひそかにかんがえるに
註3-雖    たとい(仮令)父雖没は、父が死なれても➀
越ー失う⓶
(父)雖越ーー(仮令)父雖越は、父が死なれても、➀⓶からと考える。
註4-海外   四海の外、すなわち外国。つまり海外=外国=琉球國となると考える。
註5-藩職
藩=諸侯の國
職=仕事
註6-荷    有り難い かたじけない
人より受けたる恩をありがたく感ずる。
荷天朝  天朝をありがたくおもう

註7-福    さいわい しあわせ
澤     うるおい めぐみ
福澤--  幸いと恵み
註8-遠ーー   あまねし ひろし おくぶかい
庇ーー  庇護 おほう かばう
遠庇ーー 奥深く庇護する
註9ー襲封ーー諸侯が領地を受け継ぐ
註10ー叨恩  恩をみだりにす
並々ならず恵みをうける
註11ー左渥  左=証拠
渥 あつし 光沢あ うるおい
左渥ーうるおいがある証拠(agijimaの考察の結果)
註12ー期   1年間の喪に服すすること。
註13ー海表  海外の土地。ここでは琉球をさす。(agijimaの考察)
註14ー藩鎮
藩=一地方の長となりて守備按按撫に任ぜらるもの。
鎮=諸侯の國
註15ー料此
料ー 考える 考えはかる
註16①ー蹇  困窮する。ゆきなやむ。びっこする。あしなえ【足萎え・蹇】足がきかなくて歩行が不自由なこと。また、その人。

註16⓶ー永年  とこしえの年=長生き

年=年

註16③ー康熙肆伍年拾貮月春拾日  尚純王 (康熙) 四十五年丙戌十二月三十日薨。葬于于玉陵。『中山世譜 蔡鐸本』
註17ー代父 父の代わりとして
註18ー問視  言う事や世話する事
問=言う。述べる。告げる。
視=伺う。もてなす。 世話をする。
註19ー通悼   痛み悲しむ)

註20ー痾  ながびく病。(agijimaの考察)
註21ー康熙48年柒月拾参日(agijimaの考察)
(尚貞王:康熙)四十八年己丑七月十三日薨
葬于玉陵在位四十一年。壽六十五。『中山世譜 蔡鐸本』

註22ー薨逝 死亡する(agijimaの考察)
薨=みまかる。貴人の死亡の事
逝ーー死亡する
註23ー呼  つかれて發する聲。
註24ー榻  ゆか・腰かけ・寝台
狭く長くして低い牀(臥牀)
註25ー命之 此れを申し付けられる
註26ー吾  尚貞
註27ー封嗣  琉球國中山に封ぜられた世継。
封侯=諸侯に封する。封せられし諸侯
嗣=よつぎ。相続人
註28ー業經 すでに
業=すでに(已然)もはや為し了へたる意を表す。
經=かって いままで
註29ー聖朝
聖=天子の敬称。
朝=役所。我が君主の治下。
註30ー眷顧  なさけをかけかへりみる。
註31-有加無已  とどまることなくますます度が加わること
註32ー浩蕩ー水が広く流れるさま
註33ー名  命令する
註34ー沈篤  久しき病はなはだし
沈=沈疴=久しき病
篤=病はなはだし
註35ー料此  此れを考えるに
料=考える。かんがえるはかる。
此=これを
註36ー報答  むくゆること。人の恵に報ゆ。
註37ー汝  ここでは尚益を指す(agijima考察)
註38ー恭順  うやうやしくしたがう
註39ー吾心  私尚貞の心(agijimaの考察)
註40ー汝父 汝はここでは尚益。父は尚益の父=尚純のこと
註41ー封典  領地を与えて諸侯とするの規則決まり
封=領地を与えて諸侯とする
典=規則決まり
註42ー應  答え
註43ー入廟  おたまや、祖先のみ霊をまつる殿堂にはいる
入=はいる
廟=おたまや、祖先のみ霊をまつる殿堂
註44ー禰廟にまつる父の稱
註45ー如物議何  物議ご如きは何いかにしようか →どうしようか世間の噂を(agijimaの考察)
如ーー何=  どうしよう いかに
物議=世間の噂
註46ー汝 此処では尚益
註47-言 いう心・そういゆわけ
註48-言継業 先人の業を継ぐことの言うこころは(agijima考察)
言= いう心・そういゆわけ
継業=先人の業を継ぐ
註49ー負  そむく
註50-封藩 領地を与えられ諸侯(agijima考察)
封=諸侯の領地。領地を与えて諸侯とする。
藩=一地方の長となりて守備按按撫に任ぜらるもの。
藩=諸侯の國
註51ー喪 も。期服=人の死を悲しみてある一定の期間凶服をつけてうれいにこもる。
註52ー權聽  公平に聞き入れて
權=たいらかに
聽=聞き入れる。ゆるす。
うけ
註53 査照施行 承知して取りはかる(agijima考察)
査照 承知する(『無用之用』
施行 とりはからう(『無用之用』
『旧琉球藩評定所書類 書簡和觧-752』

タイトルとURLをコピーしました