[本文0003]【始めて五穀を生じ、以て耕種・飲食を教へ、且巾裳・屋廬を製造す。】天孫氏継治の間、民に烹飪を教へて、民之れを和とし、民に巣居を教へて、民之れに安んず。而して未だ稼穡を知らず。禽獣を逐捕して、以て食と為し、菓実を拾収して、以て飯と為す。歴年亦久しく、麦・粟・黍、天然に久高に生じ、稲苗、知念・玉城に生ず。始めて民に耕種を教へて農事興る(麦は春熟し、稲は夏熟す。是の故に旧制は、国君、毎年二月久高島に幸し、四月知念・玉城に幸して、親しく自ら祭を致し、以て皇天后土成物の徳に報ゆ。康煕十二年癸丑、道遠く、海阻つるの故を以て、始めて旧制を改め、使を遣はして代祭せしめ、著して定規と為す)。是れに繇りて規模始めて興り、民俗丕いに変じて、昔の皮草もて体を蔽ふ者、今始めて巾裳有り。昔の巣居穴処する者、今始めて屋廬有り。亦海水を暴して塩を為り、木汁を取りて酢を為り、米麪を醸して酒を為る。其の味甚だ薄きも、而も民習駸駸乎として復前日の俗に非ず。਀