[本文0685]【座喜味村の上地、屢々餓を済ひて、座敷位及び御掛物一幅を褒賜さる。】読谷山間切座喜味村の上地親雲上は、四歳の時、父を喪ひ、只母の養に靠りて、饑寒の中より長成す。年十三に至りて、聡敏にして凡ならず、孝友観るに足る。宗族、其の庸劣の材に非ざるを見て、書算を学ばんことを勧む。上地、書・農を兼ね勤めて、略々間断無し。五年ならざるの間、書算頗る通じ、始めて文子と為る。後、掟と為り、終に黄冠を頂戴して夫地頭職に任す。公務の暇、肯へて手足を労し、空しく日を度らずして、巨富を致す。又、能く母に孝にして施すことを好む。康煕己丑の年大いに饑ゆるや、私に米二百二十二石五斗を発して、間切に借与し、饑民を賑済す。今年熟せず。又、米粟九十石・小黒豆三十七石を借与して、以て百姓を済ひ、倶に利息を免ず。此れに因りて、位併びに御掛物を褒賜さる。਀