[本文1381]【三十六年四月初十日、伊平屋島仲田村の前の॔꩖ખ湎萰䱕銈ሰ妌Ȱᄰਰ獏䭞ぎ兵湧䴰湒吰嘉親雲上は、掟役より地頭代役に至るまで、公務全竣し、毫も悞失無し。又冊使臨国の時、米二石余を奉借す。上届申年、国用敷かざるの時も亦米十石を奉借す。此に依って特に褒賞を賜はる。且、我喜屋・島尻両村有る所の田地の内、屡々潮水の侵入する有りて、稲禾を害痛す。是を以て心を尽くし慮を発し、上届戊寅の年、自己の資を捐して、防波の堤を築起す。其の長さ二十歩・横二歩半・高さ三尺なり。又其の田地の尾、水、流通し難く、㑤歸⨰硘娰İ㐰鵬鉮㤰穥奬Ȱ瘰湑眰喕崰䅎楓ﭫ啭鐰㩎橜訰Ȱ㸰衲訰豎ş㠰佬儰ⵧ湎뼰⥏桒먰議Ȱ젰呓嘉は、現在我喜屋村の居民并びに親族に困窮の者有れば、屢々食用を給すること、共計米十二石余并びに蘇鉄千三百余斤・牡牛三口・銅銭三百六十貫文なり。又米粟四石余を以て、利息を加ふること無く之れを借し、以て賦税并びに造船の需に備ふ。又村民、或いは子を生み、或いは病に染むや、屢々米醤等の物を給して、以て療養を為す。又身価米を免ずるの奴僕、夫婦倶に餓病に及ぶや、之れを家に移して、厚く調養を為し、其の命を救ふと雖も、亦年成、登豊の間、家中に留居せしめてઍ銙妁Ȱ儰멧桎ꐰ詎昰谰晔坷İ젰ﵓ侀눰涏歩İ蚀Ȱ儰멧癎湑꠰銘謰暉坛昰İаՔ쌰Ὗ鉡妁Ȱ搰豫欰詖昰퐰冕湧縰퍶쩙獓ⴰﭶа祔䥟Ż㄰鉵餰硐昰ᴰ歞㄰๘奦Ȱ䔰步ⵒꞘ睞䵥鉏妌Ȱ0