[本文1588]【十四年丁丑、久志郡富久地村を佐安佐原に遷すを准す。】久志郡富久地村は、原来困疲し、公賦を欠し、多く私債を負ふ。且死者甚だ多く、生者は却つて少し。現今、挙村の人数僅かに一十余人を存するのみ。況んや農場・泉水、村と隔遠するに因り、徒らに民力を往返に費し、意の如く力を農業に尽くす能はざるをや。既に逐年疲を増すの境に入る。此に於て百姓人等皆謂ふ、川田村東方に佐安佐原有り。特に四囲樹木なるのみならず、更に野に往き水を汲むの便を得。且泊舟の港有りて凡事甚だ便宜有りと。乃ち地理師を延請して其の風水を視せしむるに、即ち云ふ、地理甚だ好しと。乞ふ、戸籍を佐安佐原に遷すを准せと。又該郡の人、磽瘠の地を称して富久地と曰ふ。是を以て百姓等其の溗㱭奏謰鈰匰火娰Ȱ帰畎İ찰䕛ぎ兗鉧ذ晜㤰腥昰기칛兗桧坹İ爰龊祣歟誁昰舰꘰兎呧を称するを准せ等の由、百姓僉呈し、田地奉行・惣地頭・検者・酋長等印結を加具して朝廷に具禀す。随即允す。਀