[本文1858]【本年、再び親方総山奉行を建つ。】杣山の林木は、意を加へて培養せざるべからず。故を以て崇禎元年、紫巾官に命じ、充てて総山奉行と為す。又康煕年間、王子に命じ、充てて総奉行と為し、加ふるに按司・紫巾官を以てす。雍正年間に至り、建つる所の各役、已に加減を行ふ。更に兼ぬるに其の後数十年の久しきを経過し、公用の材木、昔に比して甚だ多く、有る所の杣山の材木遂に憔悴に就く。是れに因りて嘉慶十一年、複た又紫巾官に命じ、充てて総山奉行と為す。二十五年に至り、其の総山奉行伊志嶺親方を将て、年頭使に充て薩州に赴かしむ。且此の時に当り、杣山の諸木鬱鬱として暢茂す。故に其の後欠を建てず。但々ニ十一年を歴るの茲に酉年、大風に遇着す。古来未だ此くの如きの大風有らず。有る所の諸木多く吹倒され、兼ぬるに其の林木を将て、聖廟及び西御殿を営造し、更に兼ぬるに各処の公署を起造し、林木を費用すること甚だ多し。故に彼の林木概ね憔悴に及ぶ。此れに因りて、会議して、旧に仍りて紫巾官に命じ、充てて総奉行と為し、役知を賜らず。਀